紅炉一点雪

人生65年節目の表現を植物素材による、過去、現在、未来を高炉一点雪として表す。


富安晃苑、人生の節目65歳を境として、自営業を後継者に引継ぎしまして3年間の準備をかけました。

会場の設定、プランの構想、あらゆる分野のエンターテイメントを参考にと、海外で先ずは世界の文化の中心ニューヨークで1週間、ソーホーのレンガ倉庫街、メトロポリタン美術館、二十世紀美術館、いろいろな作家の作品に触れた。

その後ラスベガスのエンターテイメント、ナイアガラ爆風、グランドキャニオンの大きさと規模迫力に圧倒されました。

ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、イギリス、オーストラリア、中国、韓国、グアム、台湾、ハワイ、各地で、いろいろな、文化に触れてきました。

国内では、まず日本の伝統文化でもある、名古屋に立派な能舞台があり、お茶のお友達で仕手の家元をされているお友達に、能のシンプルな良さを気づかしていただきました。

歌舞伎、歌劇、宝塚劇場公演,などなど、初めての世界もありましたが、一番感動したのは、東京浅草の劇場で見た映画 ハリーポッターの賢者の石 でした。
空に舞い上がるハリーポッター にヒントを得まして、私の描く輪廻転生の世界を、過去現在未来、として、未来を天空に舞い上がる構成ができました。
過去は母親の体内から、育まれ長いトンネルから、心音を聞きながら、ピアノの生演奏による音の世界から今生のマバユイばかりの光の世界えと、今回の主題となる、江炉一点雪、と題して現在の思いを、畳2枚分の書に題して、私の好きな花、植物素材に変えて表現しました。

会場中央に竹で組んだお茶室、お客様をおもてなしをする、空間を作りまして、今生の極楽を表現しました。3日間で用意したお菓子が三日目の昼前になくなり、大変な盛況に感激しました。
有り難うございました。

縦1mx4mの書を400枚書きました。

個展のメインです 紅炉一点雪

無彩色による、天空のかなたに、舞い上がり、来世の想像の世界に、延々と果てしなく、

2003年 富安晃苑個展  岡崎市勤労福祉会館

母親の心音が聞こえる、道、


富安晃苑手書きの案内状です。

2003年10月11日~13日  会場 岡崎市勤労福祉会館

色の世界(今世)竹でお茶室制作、極楽浄土の世界


直径2m、幅1m無彩色 来世の三世の世界え舞い上がり、制作中

勤労福祉会館 結婚式会場

藤つる25m10本、柿の木10本、つるうめもどき、 トンネルです。

母の心音が聞こえる道。

 紅炉一点雪

これは正確には「紅炉上一点雪」です。しかしよく「上」が省略されて書かれることが多いようです。

意味は真っ赤に燃えさかった暖炉の上に一片の雪が舞い落ちる。すると雪は一舜のうちに溶けてしまいます。実にはかないものです。

考えてみれば、私たちの命も、この雪のようなものではないでしょうか。何十年生きられるか知りませんが、長い宇宙の時間から見ればほんの一瞬のこと、まさに紅炉上の一点の雪のごときそんざいです。
しかし、この誠にはかない一瞬の存在が、実は他の何物にもかえがたい、尊い、尊い存在なのであります。
瞬時にして消えてしまう弱々しい自己でわあるが、しかしこの自己なくしては、宇宙も地球もそんざいするいみがありません。
燃えさかる暖炉は、一舜のうちに消え去る雪のためにあるとすら言えます。ですからこの句の主眼は「紅炉」ではなく、「一点雪」にある。私はそう思います。

また、燃えさかる暖炉の赤と、冷たい雪の白さという色彩の対比の妙、その鮮やかさ。色彩的な意味でも、まことに味わい深い、美しい句です。
そしてこの句を禅的に解釈すれば、また別な意味になります。すなわち【碧巌録】には、「刑棘林透納僧家 紅炉上如一点雪」とあります。
修行僧が刑棘林、すなわちイバラの林を通って歩むといえども、紅炉上の一点の雪のように、まったくその痕跡を残さないということ。
傷だらけ血だらけになって出てくるというのは、修行が足りない証拠。どんなに苦しい道を通ってきても、跡形すら見せない、それがほんとうの修行の到達点である。ということなのです。
ですから、いかにも私は修行してきましたというのは駄目だというのです。修行中は、紅炉上の一点の雪のごとく身を轍底的に焼尽くす、しかし次の瞬間には、まったく痕跡さえ残さずにけろりとしている。というのでなければならないのです。

お茶の世界でもそうではないでしょうか。
いわゆる「茶人くささ」ほど嫌なものはありません。いかにも私は茶人ですという雰囲気の茶人がいますが、まだまだという気がします。茶人もまた、修行の跡を残さずに、淡淡とした心境でいなければなりません。 

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