天空え

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縮尺100分の1に表す、模型のプランです
構想を模型にして、植物素材を集めた

個展のメーンです。 紅炉一点雪

紅炉一点雪 禅と老子

「紅炉一点雪」こうろいってんのゆき
正しくは「紅炉上一転雪」

だが、上を抜いて 「紅炉一点雪」ともいう。
いけばな草月流富安晃苑個展 社中展 (2003年10月11日12日13日、岡崎市)の主題であり、元来は禅門第一の書といわれる『碧巌録(へきがんろく)』にでてくる句(禅語)である。

紅炉の紅と雪の白が鮮やかなコントラストをなすこの句は、あかあかと燃えている暖炉上の一片の雪がたちまち消えてしまうように、無情なもの、はかないもののたとえと考えられる。

宇宙の悠久の時の流れと比べれば、人生もまた紅炉上の一転の雪であろう。だが、この句ただ無常、はかなさ、寂しさをいたずらに強調するものではない。
そのはかなさ、寂しさの底に、永遠の生命が息ついているのである。
炉辺で茶を喫して降る雪を眺める風情(閑寂風趣)に見立てて、茶室の掛け軸として用いられるこの句は禅語としては ”少しも跡形をととめない”という意味があるのだ。いかなる難行苦行をしても、悟ればその難行苦行の跡形を少しも止めないのである。

そこで炉を仏心に、雪を煩悩にたとえて、火が盛んに燃えている炉の上に一片の雪を置いてもたちまち消えてしまうと同じように、仏心が光り輝いていれば、一点の迷妄などたちまち焼き尽くされ、浄化されて、少しも跡形を残さないという解釈がなされている。

これに対して、道(水、真理)の一つの現れを雪とし、水が変化自在に雪となり、雨となり、水蒸気になるように、道そのものも変化自在なものでという解釈もある。これは老子の「道の道とすべきは常の道に非ず」に通じる自由自在な心境である。  

「人生65年を振り返り、好きな生け花で過去、現在、未来を表現」された富安晃苑個展では、周囲に人間の誕生から往生まで、そして自相世界への螺旋的次元上昇の物語が配され、中央に一期一会の茶席が用意され、はかなきものの底にある永遠の生命、宇宙が表現されていた。

そこに、いけばな草月流、茶道表千家の修行の跡形さえ止めない意すらあるだろうか。

なお,この句は 『碧巌録』のほか、朱子の『続近思録』にも、「親子は己に克 つ、紅炉一点雪の如し」とある。
孔門十哲の一人で徳業第一とといわれた顔子(名は回、字は子渕)が貧苦の中で、私心や邪念をはらいのけ、愈愈自適の生活をしたことをいったのだ。

さて、「紅炉上一転雪」に通じる老子の考えをここで示しておきたい。「善行は(てっせき)無く、善言は(かたく)無く」(老子道徳経第二十七章)。真実の善なる行いは、車が道を行くのにその跡を止めないように、自分の心に善行をしたという誇りもないし、人々のめに華やかに知られるようなあり方でもない。同様に、善い言葉も、その言葉が少しでも時分を傷つけ、人を損なうようなものであってならない。このように老子は一切のとらわれを嫌う聖者である。

自分のしたどんな善いことにも、他人のしたどんな悪いことにも、少しも想いが止まらず、すべてはみ仏(神様)が善いようにして下さると信じ切っている。それでいて、少しの善いことをおろそかにせず、少しの悪いことをもけしさろうと努める。

そんな自由人として、生き生きと生きたいものである。
鹿毛 俊孝

友人略歴 
鹿毛 俊孝(かげとしたか)
1950年 九州大学理学部物理学科卒業
日本マーケッティング(現船井総合研究所)を経て、
85年M&I経営開発を設立
経営コンサルタントとして多方面で活躍している。
著書「優良中堅企業への道」「きもの業界融合への道」その他多数。

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